トヨタ |  TOYOTA (日本)

プロフィール

設立年月日

1937(昭和12年)年8月28日 

社長名

豊田 章男 

関連リンク(外部サイトへのリンクです)

公式サイト(http://toyota.jp/) 

グローバルサイト(http://www.toyota-global.com/) 

概要

日本最大の自動車メーカーにして日本最大の企業。グループ企業のダイハツと日野自動車を含めた生産・販売台数は900万台レベル(乗用車と商用車の合計)に達し、2007年にGMを抜いて以後、自動車販売でも世界第一位となっている。ただし、2010年の販売台数はトヨタ=842万台に対しGM=839万台でその差はわずかで、さらに三位の独VWは2018に1000万台規模を生産してトヨタを抜くことを目指している。グループ内にダイハツがあるため、トヨタ本体では軽自動車を生産していないが、リッターカーのパッソからV型12気筒5.0リッターエンジンを搭載したセンチュリーまで、文字通りのフルラインメーカー。また、世界に先駆けてハイブリッド乗用車のプリウスを発売するなど、環境問題への対応姿勢も積極的で、企業イメージを向上させることにも成功している。環境問題への対応ばかりでなく、GOAボディやサイド&カーテンシールドエアバッグの全車標準化を早くから採用するなど、クルマの安全性に関しても各社をリードする存在である。 

歴史

1933年、豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)を創業した豊田佐吉が社内に自動車部を設置したのが起源。1936年にはトヨダAA型自動車を発表、翌37年にトヨタ自動車工業(株)が設立され、初代社長には豊田利三郎が就任する。

1955年にはトヨペット・クラウンを発表。57年にはクラウンを国産乗用車としてはじめてアメリカに輸出する。1959年には拠点を構える愛知県挙母市が豊田市に改名した。

1966年にはカローラを発表。同年には、日野自動車工業と業務提携し、翌1967年にはダイハツ工業と業務提携した。

1982年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売を合併に伴い社名をトヨタ自動車に改め、豊田章一郎が社長に就任。1989年にはセルシオを発表し、北米に高級車ブランドのレクサス店を設立している。

1997年に世界初の量産ハイブリッドカー・プリウスを発表。2008年にはプリウスの販売が累計100万台に達し、2年後の2010年にプリウスは累計200万台に達している。2005年には国内にもレクサス店を開業。2007年度より77年間続いたGMの世界販売台数を抜いて首位となり、2009年に豊田章男が渡辺捷昭から社長を引き継いでいる。 

技術

・トヨタハイブリッドシステム(THS)
トヨタが世界に先駆けて開発、初代プリウスから採用している量産ハイブリッドシステム。エンジンと2個のモーターを組み合わせ、変速を兼ねた動力分割機構として遊星ギアを用いているのが特徴だ。シリーズ式(直列式)ハイブリッドとパラレル式ハイブリッド(並列式)の長所を併せ持ち、トヨタはスプリット式ハイブリッドと呼んでいる。一般的にはモーターのみでの発進が可能なフルハイブリッド(ストロングハイブリッド)に大別される。プリウスや派生モデルでは、ガソリンエンジンは燃費効率のいいアトキンソンサイクル式、バッテリーは現在のところニッケル水素バッテリーを使う。プリウスPHVではリチウムイオンバッテリーの登載が予定されている。

・トヨタ生産方式
ジャストインタイム=カンバン方式などの名称で知られる経済効率を追求した生産システムでトヨタが開発。生産指示が記入されたプレート=カンバンを使い、見込み生産を減らして在庫を最小限に抑えるのが目的。最近は電子化されたプレートを用いる電子カンバンも登場している。

・ハイメカツインカム
トヨタが1980年代の後半に開発した低コストなツインカム4バルブエンジン。ツインカムの片側カムシャフトのみをタイミングベルトで駆動し、シャフトに組み込んだギアで反対側のカムシャフトを駆動する。燃焼室をコンパクトに設計可能で、構造がシンプルなため低コストで量産に向き、DOHCの普及を加速した。 

販売網(ディーラー)

トヨタの販売網は系列店ごとに取り扱い車種が異なる。主な取扱車種は、トヨタ店がセンチュリー、クラウン、アリオン、ランドクルーザーなど、トヨペット店 がマークX、プレミオ、ハリアー、ベルタなど、トヨタカローラ店がカローラシリーズ、ノア、カムリ、パッソ、ラクティスなど、ネッツ店がヴィッツ、オーリス、ウィッシュ、ヴォクシーなど、レクサス店 がレクサスLS、レクサスGS、レクサスIS、レクサスHS、レクサスRXなどを販売する。 

モータースポーツ

1973年よりWRC(世界ラリー選手権)にトヨタ・チーム・ヨーロッパが参戦。初優勝はカローラレビンで参戦した1975年の1000湖ラリーで、1984年~1986年にはTA64型セリカがサファリラリー3連覇を達成している。1988年にデビューしたST165型セリカは、ランチア・デルタと二強時代を築き、90年と92年にはカルロス・サインツがドライバーズチャンピオンを獲得している。1997年にWRカーが導入されてからはカローラWRCにスイッチするが、1999年にWRCの撤退と、F1への参戦を発表した。

F1には2001年にミナルディから引き抜いたグスタフ・ブルナーが手がけたTF102で参戦を開始。翌2002年にオーストラリアGPで6位に入賞を果たす。2003年にはフェラーリへのスパイ疑惑による訴訟が発生。2005年からはヤルノ・トゥルーリに加えドライバーにラルフ・シューマッハーを迎えて、この年コンストラクターズ4位に入っている。2008年には小林可夢偉をサードドライバーに起用。TF109を投入した2009年は第4戦で初のフロントロー独占を果たすなど好調を見せ、14戦ではグロッグが、15戦ではトゥルーリが2位に入っている。また、第16戦では怪我のグロッグに替わり小林可夢偉が出場し、17戦では可夢偉がデビュー2戦目にして6位入賞を果たした。しかし同年の11月4日、豊田章男社長によってサブプライム問題などを理由にF1撤退が発表された。 

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