夫婦橋跡(大阪市北区)
旧天満堀川にあり現在は埋め立てられている夫婦橋跡
2024年03月20日
夫婦橋は、旧天満堀川が天神橋筋と交差するところに架けられていました。
堀川は、当初豊臣秀吉時代の慶長3(1598)年に一部が開削され、その後天保9(1838)年に扇町から東北へ延伸されました。
夫婦橋は、この堀川の延伸に伴って架けられたものです。
延伸前、ここに女夫池という池がありました。この名の起こりについては二説ありますが、その一説に、昔この辺りに仲睦まじい若夫婦が住んでいました。訳あって、夫は妻に三年間待ってほしいと言い置いて他国へ出かけました。期限が過ぎても帰ってこないので、妻は思い余って池に身を投げて死にました。その後、夫が戻ってくるが妻の死を知り、後を追って入水して果てました。世人これを哀れんで女夫池と呼んだといいます。
天満堀川延伸により、池は埋められ能勢家の邸と妙見堂が建てられました。縁日には、この「夫婦池の妙見さん」は参詣人で大変賑わったといいます。
夫婦橋は、昭和4(1929)年に一径間鋼鈑桁の近代橋に生まれ変わりました。戦後、堀川は環境が悪化したので、埋め立てられることになり、川筋は阪神高速道路の高架橋の下に入り、この辺り天保9(1838)年に開削された所も昭和47(1972)年には平面道路となり現在に至っています。
延宝3年(1675)に出版された「芦分船」という書物の中に、若くして死んだ夫婦を哀れんで詠まれた句があります。
水もらぬ 契りのすえはくびたけに おもひ志つみし女夫池かな
Photo Apple iPhone 13PRO
R6.2.17
住所: 大阪府大阪市北区天神橋4丁目
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